にわとり 飼いたい
なんとか風邪から復活。やっぱり睡眠がいちばんだ。

裏庭に、マドレーヌの下の紙のような、白いものが落ちていた。手にとってみると、それは白菜の下の部分。お皿みたいだ。

--ここにコップという物がある。視覚はこれにあうと、いやおうなくこの物のコップという名前を読まされることによって、この物を水やサイダーやビールを飲むためのダと承認させられる。そしてそれですべてを忘れさせられる。たまたまはっと己が役目に気がついた視覚が、名前のうしろに隠れている物そのものを見とどけようとしても、すでに読んでしまった、名前が、執拗にふり廻すコップ観による妨害をなかなか防げはしない。
 このように図々しい名前などという浅はかな奴を、わざわざ絵の中にまでのさばらせて読んでやる必要があろうか。というのが具象画に興味をもてない私の理由である。--
とおいところ まど みちおより

ここでは抽象画について語っているのだけど、「抽象画」という堅い言葉が ほとんどまったくピンとこない自分のような世代でも、この一節はとても親しみやすいと感じた。

そうなんだよなあ。あらゆるものは視覚や聴覚、触覚(?)などをとおして、ことば(脳?)で感じているンだよな。
初めてみる物ってのは抵抗がないから、怖さも感動もズバッとくる。うぎゃ〜やられた〜!って。

そういえば自分は鳥を飼ったことがない。でも鶏を飼いたい。細野ソングでいう「今では僕は田舎もの 毎朝にわとりコケコッコー」だ。
初めての経験、発見はおもしろい。おもしろい事があると毎日がおもしろい。いろんな事をしてみたい。旅行も行きたいけど、今の興味は鶏と大豆だったりする。
今いる土の上にはいろんなモノが名前とともに存在している。けれどもすべてクリアに、初めて触れる感覚をもっていたい。価値観による味気のない名前は忘れてしまいたい。世界ってのは、毎日変わっているんじゃないのか。
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by zigma | 2005-03-22 18:04 | hibi
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